おてんば娘の行進~再生不良性貧血ステージ5~

再生不良性貧血ステージ5の娘・まーちと、シングルマザー・ぷちょの入院生活の日々。免疫抑制療法の効果が無く、骨髄移植をする事に。私がドナーとなりました。

部屋の移動、今の気持ち

今日は朝にお部屋の移動がありました。

他にも入院してくる子がいるようで、元気なまーちはナースステーションから遠いお部屋になりました。


そのお部屋(4人部屋)には男の子2人とまーちの3人です。

まーちより小柄なので小さな子なのかな〜と思っていたら、朝ごはんの後に院内学級へ登校していました。1年生のようです。


まーちが明日入れるカテーテルを付けているのが見えたので、似たような病気なのかな?


とても快活な男の子なので、まーちにも話しかけてくれたり、この部屋に来てくれて嬉しいとまで言ってくれました。本当にありがたいです!



病名はというと私がテンパっていたせいか、今日判明ではありませんでした…

アホだ…

今日は検体を名古屋の方へと送り、検査依頼をするという日でした。

この検査で急性白血病か再生不良性貧血かとがわかるのかな?

寝不足で気持ちも考えもついて行っていない感じです。



明日カテーテルの手術です。

まーちには寝る前に

「明日は点滴は取れるんだけど、今度はここ(胸の辺り)に管が出ちゃうんだ。痛かったり気になると思うけど、ママと頑張るよ?」

そして指切りげんまん。


カテーテルを付けたあとのこの子の人生はどうなるのか…

不安しかないけれども、私はこの子の為に生きる事を決めました。

なにがあっても大きな母でいるよう努めます。


明日の手術、無事に終わりますように!!!

骨髄検査

29日に大学病院へ入院し、その夜まーちは「はなかっぱ」のハンカチで顔を隠して泣きながら寝ていました。

たった4歳2ヶ月の子がなぜこんな事になってしまったのか。なんでこの子なのか。シングルマザーで子どもも病気でって、人生ベリーハードモードじゃないか。



30日はまた輸血と抗生剤のオンパレードでした。

まーちは身体の方も楽になってきたのか、起き上がりテレビを見たり、本を見たり出来るようになりました。

そして採血の数値も少し良かったため、翌日 骨髄検査をすることになりました。

この日はいろんな説明書やら同意書にサインをしました。


そして31日午前9時45分、まーちは処置室へと連れていかれました。私は部屋で落ち着かない気持ちで待っていました。

戻ったのは1時間半後でした。

痛がったのでお薬追加追加で、しばらく寝ているかと思います。と言われ、少し不安に。

看護助手の仕事で内視鏡検査に関わる事がありますが、鎮静剤を多めに打つとなかなか患者さんが目覚めない事があります。具合が良くない方もいらっしゃいます。

まーちは大丈夫だろうか。お昼は食べられるかな…


お昼ご飯が来てしばらく経った13時30分に起きました。

具合は大丈夫そうだし、ご飯の食べも良い。

一安心です。

子どもが小さいと一つ一つが不安になり、精神的に疲れます。


そして、午後に先生からお話がありました。

院内の検査だと多分、白血病の方ではなく再生不良性貧血のほうが濃厚だという事でした。とりあえずは検査には出すが、CVカテーテルの手術を火曜にしましょう。


カテーテル…

言葉が出てきませんでした。

身体にカテーテル。こんな小さいのに…


病気のお子さんのいる方なら思うはず、


出来るなら代わってあげたい!!!


私はもう三十代後半に差し掛かっている人間だけど、この子はこれから成長していく未来がある子なのに。




明日、結果がわかるのかな。

なんだか疲労で言われた事が現実か夢かわからなくなってきた感じです。

明日が怖いです。

風邪から突然の入院③

長々とすみません、これで大学病院への入院までいく予定です。もう少しお付き合いください。

28日

かかりつけ医受診が既に夕方、総合病院での検査や入院手続きが終わったのが19時を過ぎていました。


手が空いた時間に幼稚園へ電話をし、入院を伝えました。

北国のド田舎で、夕方は涼しいはずが私は汗だく。

娘は大勢の大人に囲まれ、キョトンとしていました。左手の甲に失敗した跡が2つ、点滴は利き手である右の甲に繋がっていました。

こんなに小さな手に…と思わず涙ぐんでしまう私。

病室へ行き、先生からの説明がありました。


「再生不良性貧血」「急性白血病」

この2つのどちらかだと思います。

これからH大学病院へ紹介しますので明日ドクターヘリで行ってもらいます。


ドクターヘリ!!??!?



緊急の事での驚きと高所恐怖症でそんな物に乗るのかと、色んな感情が私のなかで渦巻いていました。

一度母と代わってもらい私のみ帰宅。

シャワーを浴び、入院の準備をし再び病院へ。その時21時。娘はもう寝ていました。



22時に輸血開始。

娘の血液型のヘモグロビンの輸血でした。血小板は無かったので、大学病院へ行ってからになりました。

20mlシリンジで数回輸血でした。


看護師さんの中に娘の同級生のお母さんがいて、娘も私も励ましてもらいました。

娘の隣で少し横になるもなかなか寝付けず、結局一睡もせず4時ころトイレへ起きました。一晩泣いたせいか瞼が腫れていました。

娘も6時頃目覚めて周りを見回します。家じゃないので不思議に思ったのでしょう。


朝食とってから採血、救急車、ヘリの確認。体調の方の確認もありました。

準備が出来て、いざ救急車へ。

救急外来の出入口から乗りましたが、沢山の医師や看護師さんが見送ってくれて、なんとも言えない感じでした。

ヘリのつける場所へ行き、乗り換えです。

パイロット2名、医師、看護師、私と娘の6名。

大学病院へと向かいます。


ドクターヘリはまだ飛行機よりマシでした。

私はあのふわっとなる感じが嫌で嫌で仕方ないんですが、ヘリはあまりそういう感じがなくてビクッとなる回数が少なくて済みました。

まーちはずーっと景色を眺めていましたが、どこへ行くのか不安もあったと思います。

無事着いたあとは大学病院で再採血、レントゲン等検査を行いました。


やはり数値は悪く、早々に輸血が始まりました。

ヘモグロビンは赤い血でしたが、血小板はオレンジ?茶色?な液体でした。

輸血してしばらくすると、娘の顔色が良くなってきたのがわかりました。

その夜、また点滴、抗生剤等色々投与されました。

これから長く入院するのかどうなるのかまだわからない事が沢山で具合が悪かったです。でももっと具合悪いのはまーちなので、私は大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせました。


先生はこれから骨髄検査を数値を見ていい時にやります。ということででした。

それがあしたねなのか、週明けまでいくのか。先が見えない入院はキツい。


そして、娘と私の病気との戦いが始まりました。