おてんば娘の行進~再生不良性貧血ステージ5~

再生不良性貧血ステージ5の娘・まーちと、シングルマザー・ぷちょの入院生活の日々。免疫抑制療法の効果が無く、骨髄移植をする事に。私がドナーとなりました。

離婚の話②

すみません、続きです。


調停するにあたって、最寄りの裁判所へ行き用紙をもらい記入。

調停は原則、相手の居住地の裁判所へ申し立て、そこで行われるというかたちです。

私は青い森のド田舎に帰省していて、元夫の居る場所は埼玉でした。ですので、調停は埼玉の裁判所へ申し立て、そこで行われます。

色々調べて、電話での話し合いも出来ると知って、ダメ元で希望欄に書いてみました。

すると、最終的には埼玉へ来てもらうが話し合いの段階では電話でも良いとの事で、希望通り電話で出来ることとなりました!


話し合うこと3ヶ月。調停は3度ありました。

結局、調停不成立でした。惨敗です。

敗因は、相手の希望が、離婚するなら里帰り出産中の払ってない家賃や光熱費も払って欲しいという内容を私が拒否したからです。

調停委員の方は、お金で解決する方法もある。と言っていましたが、どうしても納得いかず、このような結果になってしまったのです。


調停はすごく気力がいりました。みんな疲弊しきっていました。

家族で話し合い、とりあえず一度落ち着き、また体制を整えてから再度調停を起こそう、となり、しばらく放っておきました。


その間にまた元夫の叔母さんから手紙が来ていましたが、受け取り拒否しました。


そして娘が2歳の誕生日の後、再度調停を申し立てました。

二回目も電話での話し合いが出来たので、最寄りの裁判所で電話会議です。

最初の方、元夫はやる気が無かったのか欠席したり遅刻したり、こちらをイラつかせていました。

今回はもう元夫の言う「俺が再出発するための資金」を払うから離婚してくれ、という事を最初から提示していました。

するとすんなり調停成立しました。

最終的に埼玉の裁判所へ行き、元夫と同席し裁判長の前で確認。

ちなみに元夫から養育費はもらっていません。話し合い中に元夫から払いたいと話が出れば、まーちの為に受け取ろうと思っていましたが、私からお金を奪うのに精一杯で頭に無かったのでしょう。


裁判所には元夫の叔母さんも来ていて、娘にお金を寄こそうとしていたので、断固拒否しました。今更なにしようとしてるのか、理解に苦しみます。


調停成立の次の日に、アパートへ行き、私の荷物を片っ端からダンボールに詰め実家へ送りました。

片付けている最中、元夫は私を見張っていました。ウザかったです。

帰ってから色々確認しましたが、私のCDやDVDを勝手に売って生活費にしていたようです。

離婚後もそうやってイラつかせる元夫に心底うんざりです。




とりあえずこんな感じでした。

私も元夫を支える事が出来なかったり、色々至らない事がたくさんあったと思います。

でも自分で離婚を決め、まーちを育てて行く決意をしました。

今、まーちが病気になりましたが、この子を一番に守っていきたいと思っています。

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